こんにちは!今日は院長の自己紹介3回目です。お読みいただいている方、ありがとうございます。はじめての転勤名古屋掖済会病院の循環器科医師として数年が経過しました。私が所属している名古屋大学の循環器内科の医局から、愛知県半田市の半田市立半田病院への転勤を命じられました。と言っても医局に属している医師にとって珍しいことではなく、特に若いうちは数年おきの転勤は普通のことです。名古屋掖済会病院の先輩方が順番に転勤して行かれたので、そろそろと思っていたところでした。半田市への転勤が命じられたのは冬のことです。それからの4ヶ月間は休みのたびに半田市に行って、土地勘を養いながら、心の準備をしていました。少し前後しますが、転勤の1年ほど前に私は結婚しました。名古屋市から半田市に転勤する時には妻の妊娠がわかっており、新天地で新生活が始まることになりました。半田病院で分かった「医師は科学者でもある」平成25年から、半田病院の循環器内科での勤務がスタートしました。半田病院は知多半島全域の救急医療や高度医療を担う3次救急病院で、名古屋掖済会病院に劣らないたくさんの経験を積むことができました。循環器内科医としての多くの経験と、救急医療の経験・・・だけでなく、当時の同僚の先生と共に多数の学会での発表の機会がありました。特に医師としての実力をさらに深化させるような研究との出会いは、半田病院で出会った先生方に刺激を受けた事から始まりました。それまで学会発表にはあまり興味がなかった私でしたが、半田病院にいた2年間に心不全に関してのいくつかの研究を行い、多数の国内学会をはじめヨーロッパやアメリカでの学会発表をすることができました。全くできなかった英語に真剣に取り組んだのはこの時期からです。学生時代の不勉強をとても後悔しました。半田病院時代にいくつかの研究をしていく中で、私は医師にふたつの側面があることを実感しました。医師は目の前の患者さんやそのご家族との、いち人間としての関わりの中で医療をなしていくのと同時に、科学者として患者さんに利益をもたらすような知見を得ていくことも重要であると考えるようになったのです。言うなれば、医療には仁の側面と智の側面があり、仁智両者かね備えてこそ患者さんへの十分な医療を提供できるのではないかと思いました。目の前の患者さんを一生懸命治すことを頑張っていただけの「研修医上がり」から、十分な裏付けや思考に基づいた医療を武器に診療にあたる内科臨床医へグレードアップできたと、自分では思っています。次回へ続きます。